和歌山地方裁判所 平成2年(行ウ)2号 判決 1991年11月20日
原告
飯沼允隆
右訴訟代理人弁護士
上野正紀
被告
和歌山労働基準監督署長村上智之
右指定代理人
豊田誠次
同
松原住男
同
樽井保
同
中村晃治
同
佐々木博仁
同
松尾貞子
同
上野治男
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が、原告に対してなした昭和六三年一二月二三日付労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による休業補償給付の不支給処分を取消す。
第二事案の概要
一 原告は、昭和五七年頃から、建設工事現場への給食賄夫の派遣等を業とする東商株式会社に給食賄夫として勤務してきた者であるが、同五八年四月二三日午前七時三〇分頃、広島の高速道路工事現場の飯場に出張するため、(住所略)の自宅を出て、二階から一階までの階段を降りる途中、階段に落ちていたバナナの皮を踏んで転倒し、右股関節人工骨頭の中心脱臼症状の傷害を負い、同日から入院治療(その間の同年五月三一日に右股関節全人工関節置換術の手術を受ける)や通院治療を受けていたが、同年四月二三日から同六二年五月二一日の症状固定に至るまで、右療養のため労働することができず、賃金を受けなかった(原告本人、<証拠略>)。
二 原告は被告に対し、同六三年一一月二八日、労災保険法に基づき、同五八年四月二三日から同六二年五月二一日までの休業補償給付を請求したが、被告は、同五八年四月二三日から同六一年一一月二七日までの一三一五日分の休業補償給付(以下この部分を「本件休業補償給付」という。)の請求について、同法四二条の二年の時効完成を理由に同六三年一二月二三日付でその支給をしない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした(争いがない)。
三 原告は、平成元年二月二〇日、本件処分に対し、和歌山労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが、同審査官は、同年九月五日、右審査請求を棄却する旨の決定をした(争いがない)。
四 原告は、同年一〇月九日、右決定に対し労働保険審査会に再審査請求をしたが(争いがない)、三か月を経過しても、右再審査請求に対する裁決はなされていない(弁論の全趣旨)。
五 (争点)
本件の中心的な争点は、原告の本件休業補償給付の請求が、労災保険法四二条の除斥期間の経過後又は消滅時効の完成後になされたか否かである。
1 被告の主張(除斥期間経過、時効消滅の抗弁)
(一) 労災保険法四二条は、明文上「時効」という文言を用いているが、実質は、労働者が労働基準監督署長に保険給付請求書を提出して、休業補償給付の支給決定を請求する権利の除斥期間を定めた規定である。右除斥期間は、休業補償給付の支給事由が生じた日の翌日から起算すべきであるところ、休業補償給付は賃金を受けなくなった日の第四日目以降の休業一日ごとに各休業日の支給分ごとの支給事由が生じるので、右各休業日の翌日からそれぞれ除斥期間を起算すべきである。したがって、原告が本件休業補償給付を請求した昭和六三年一一月二八日には、これを請求する権利は、二年の除斥期間の経過により消滅していた。
(二) 仮に、労災保険法四二条の規定が消滅時効の規定であるとしても、同法には消滅時効の起算点についての特別の規定がないので、民法一六六条一項の一般原則により「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」すなわち、権利の行使につき法律上の障害がなく、かつ、権利の性質上その権利行使が現実に期待できる時から起算すべきである。本件では、賃金を受けなくなった日の第四日目以降の休業日の支給分ごとに、各休業日の翌日から、右法律上の障害がなく、権利行使が現実に期待できるので、その時からそれぞれ消滅時効が進行するので、原告が本件休業補償給付を請求した昭和六三年一一月二八日には、これを請求する権利は、二年の消滅時効の完成により消滅していた。
(三) 仮に、休業補償給付を請求する権利の消滅時効の起算点について、民法七二四条が類推適用されるとしても、右消滅時効は休業補償給付を請求する者が業務起因性を知ったときから起算されるべきであり、労災保険法が適用されることを知らないことは法の不知に過ぎない。原告は、出張途上に負傷し、右負傷の時から業務に起因することの認識があったので、結局、消滅時効の起算点は、前記(二)の場合と同一となり、昭和六三年一一月二八日には本件休業補償給付を請求する権利は時効消滅している。
(四) 仮に、休業補償給付を請求する権利の消滅時効の起算点につき、民法七二四条を類推適用した上、時効が進行するために「労災適用の可能性を知ること」が必要と解しても、原告は、遅くとも昭和五八年五月三一日までに、入院患者の話から労災適用の可能性を知ったので、昭和六三年一一月二八日には本件休業補償給付を請求する権利は時効消滅している。
2 原告の反論
(一) 労災保険法四二条は、除斥期間を定めたものではなく、消滅時効の規定であり、その起算点については民法七二四条が類推適用されるべきであって、右時効の進行には、労災適用についての確定的な認識が必要である。
(二) 仮に、右時効の進行には、労災適用についての認識可能性で足りるとしても、本件で原告が労災適用の可能性を知ったのは、原告が社会保険労務士から労災保険法の適用についての話を聞いた昭和六二年五月中旬である。
第三争点に対する判断
一 労災保険法四二条が除斥期間を定めたものか消滅時効を定めたものかにつき、先ず検討するに、休業補償給付を受ける権利は、労働基準監督署長による支給決定処分に基づいて初めて金銭債権として行使できるものであり、同条所定の「権利」は、同法一二条の八により労働基準監督署長に支給決定処分を求める請求手続をする権利に過ぎないというべきである。
しかしながら、同法四二条は、休業補償給付を受ける権利は二年を経過したときは「時効によって消滅する」ものと規定していること、また、同法は昭和二二年法律第五〇号による制定以来数次の改正を経ており、その間、同条そのものも改正の対象となったことがあったにもかかわらず、保険給付を受ける権利の消滅原因を一貫して「時効」と明示していることからすると、右立法の経緯及び法文の文理に照らし、同条は消滅時効を規定したものと解すべきである。
二 次に、労災保険法四二条の消滅時効の起算点につき検討する。
同条の消滅時効の起算点については、同法に特別の規定がないが、およそ、特定の権利に関して、その消滅時効期間の進行開始があるためには、当該権利の行使が客観的に可能であることが、当然の前提要件であり、その意味において、消滅時効の起算点についての一般法理である民法一六六条一項が類推適用されるべきところ、休業補償給付の請求が客観的に可能となるのは、「賃金を受けなくなった日の第四日目」以降の各休業日の支給分ごとに、各休業日の翌日からである。
のみならず、休業補償給付を請求する権利は公法上の権利であるとはいえ、他面実質上不法行為に基づく損害賠償請求権と類似の性質を有するものといえるので、民法七二四条を類推適用するのが相当であること、また、そうでないとすると、業務起因性が必ずしも明白でなく、容易に知り得ない場合、労働者が補償給付を請求することは現実には期待できないにもかかわらず、消滅時効が進行することになり、労災保険法が目的とする被災者である労働者の救済とその生活の保障が実現しえなくなることからすると、休業補償給付を請求する権利の消滅時効期間の進行開始の要件としては、前記のとおりその行使が客観的に可能となったことに加えて、労働者において、負傷又は疾病が業務に起因するものであることを知ることを要すると解すべきである。
そして、この場合の「負傷又は疾病が業務に起因するものであること」を知ることとは、民法七二四条を類推適用する趣旨に照らし、一般人ならば休業補償給付を請求しうると判断するに足りる事実、すなわち、業務遂行性及び業務起因性を基礎付ける事実を認識することと解すべきであり、労働者において右事実を認識したにもかかわらず、休業補償給付を請求しなかったとしても、それは法の不知によるものに過ぎないというべきである。
三 そこで、原告が業務遂行性、業務起因性を知った時期につき検討するに、証拠(原告本人、<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。
1 東商株式会社における原告の職務の内容は、主に建設工事現場に給食賄夫として派遣されることであったが、右派遣のための出張に際しては、原告は同社の営業所に寄ることはなく、自宅から直接派遣先の現場に赴き、出張先から和歌山に帰宅する際も自宅に直接帰るのが殆どであり、同社は、右のような出張の方法を是認していた。
2 原告は、昭和五八年四月一七日、出張先の広島の高速道路工事現場の飯場から休暇のために和歌山の自宅に帰り、同月一八日、再度広島に出張するための旅費片道分を同社から支給を受けた。なお、同社では出張の旅費につき、往路分のみを支給し、帰路分は支給していなかった。
3 同社では、従業員に派遣先から帰宅後四日目に出張するように指示しており、四日目までに出張できないときは、大抵帰宅後六日目までに出張するのがしきたりとなっていた。
4 原告は、歯痛のため、派遣先からの帰宅後四日目の昭和五八年四月二一日に広島の現場に出張することができず、帰宅後六日目の同月二三日に、広島の現場に出張するため、その日の新幹線に乗車することを予定して、自宅を出て、下着類や作業衣を入れたバックを肩に掛けながら二階から一階の階段を降りるときに、前記第二の一のとおり負傷したが、その際、積極的な私的行為、恣意的行為はなかった。
以上の事実によれば、原告は、本件事故が事業主の命令で出張する途中に生じたことを基礎付けるこれらの事実を昭和五八年四月二三日の本件事故時から既に認識していたものと認めるのが相当であるから、この時から原告は、業務遂行性、業務起因性を基礎付ける事実を認識していたというべきである。
なお、原告は、本件事故の当初から、仕事中でなければ労災保険の給付は認められないと思っていたため、本件事故のような場合でも、労災保険の給付は認められないと思っていたが(原告本人)、前記事実を認識すれば、一般人ならば労災保険を請求できると判断するに足りるというべきであるから、この点についての原告の錯誤は法の不知に過ぎないというべきである。
四 したがって、本件休業補償給付を請求する権利の消滅時効は、各休業日の支給分ごとに、原告が業務遂行性及び業務起因性を基礎付ける事実を認識した後であり、かつ、右権利行使が客観的に可能となった各休業日の翌日からそれぞれ起算すべきであるので、昭和六三年一一月二八日になされた原告の本件休業補償給付の請求は、右消滅時効の完成後になされたものであるから、右消滅時効完成を理由に本件休業補償給付を支給しないとした本件処分は適法である。
五 なお、休業補償給付は、「労働者が業務上の負傷又は疾病による療養のため労働することができないために賃金を受けない日の第四日目から支給するもの(労災保険法一四条一項)」であるから、本件処分のうち、昭和五八年四月二三日から同月二五日までの三日間の待期期間分の休業補償給付を不支給とした部分は、この点からも適法である。
六 よって、本件処分の取消を求める原告の本訴請求は理由がない。
(裁判長裁判官 弘重一明 裁判官 安藤裕子 裁判官 阪本勝)